コラム > 2019年3月

「『データ』を視る意識」

(2019年3月29日)

デジタル化の時代、企業にとって「データ」が極めて重要な経営資源となった。

キャッシュレス決済、各種シェアリングをはじめ、様々な分野で「いかに顧客をおさえてデータを取得できるか」というナワバリ争いが繰り広げられている。ビッグデータを解析し、顧客の利便性を増したり課題解決を促したりすることができれば、顧客を囲い込み、継続的な収益が期待できるのだから無理もない。

しかしこのビッグデータ、情報科学の専門家によると、データをただ眺めているだけでは、そこから深い気づきや意味ある情報を得るのは非常に難しいということだ。検索やECの履歴などはともかく、ほとんどのログデータは色のついていないニュートラルなデータが多いらしい。要は、目的意識や仮説をもって「こうではないのか」という強い意思のもとに視ないと、データが示す意味合いは引き出せないということのようである。

日本では、データサイエンティストと呼ばれるプロフェッショナルが圧倒的に不足しているとの危機感が広がっているが、データサイエンティストには、人工知能や統計学など情報科学分野の専門能力はもちろんのこと、データの意味合いまで引き出すことのできる、言い換えればリアルな現場で起きているビジネス上の課題解決まで見据えた情報処理をも設計・実行できる複合的な高い能力が必要なのかもしれない。

ところで、弊社テクノアソシエーツは産業調査や市場調査を生業の一つとしているが、デジタル化の加速によって産業融合が進む中、成長分野を改めて見極め、戦略的な立ち位置や進むべき方向性を探索するための調査を依頼される機会が増えている。

調査業務自体は極めて泥臭く、デジタル化とは真逆のアナログなもので、関連データを掻き集めつつ現場を駆けずり回って、一体何が起きていてその背景に何があるのかを調べ回る。
これらの情報をテーブルにひっくり返して、依頼主/クライアントに対する示唆を導き出すために悩むわけだが、ビッグデータと同じで、ただ眺めていただけでは何も視えてこない。したがって、視えてくるようにするために、先に「こうではないのか」という目的意識や仮説をもって情報を集める必要があるが、これがまた難しい。

この種の感覚(「こうではないのか」が出てくる感覚)は、これまでの経験から言ってトレーニングなどで身に付けることはなかなかできない。唯一役に立つと思われるのが、これもアナログ的なやり方なのだが、現場を定期的に観察して肌感覚として持ち続けることである。そうすると、現場の些細な現象・変化などが「こうではないのか」に繋がることがある。

世の中の「データ」の量はこれからもどんどん増え、課題解決や打ち手の実行に向けて解析を行う機会も当然増えるわけだが、データサイエンティストはどのように「こうではないのか」を出していくのだろうか、などと考えつつ、現場に何か面白い現象は起きていないかと探索を続ける毎日である。

岡道裕(株式会社テクノアソシエーツ マネージャー)

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