コラム > 2016年9月

「『東京計画1960』からみる、完全自動走行運転車が走り回る近未来都市の姿」

(2016年9月30日)

半世紀以上も前、東京の持続的な未来発展のために「東京計画1960」が提唱されたのをご存じだろうか?

提唱者は、世界で最も有名と言われる日本の建築家、丹下健三氏。

広島平和記念公園(1954年開園)や、優雅な曲線が美しい代々木第一体育館(1964年竣工)、「赤プリ」の愛称で親しまれた赤坂プリンスホテル新館(1983年開業、2011年解体)など数々の名建築を産み出した巨匠である。

「東京計画1960」は、実現こそしなかったが、世の中に強烈なインパクトを与えた。

1960年当時、東京の総人口は900万人を超えていた。丹下は、中世以来引き継がれてきた求心型放射状交通システムでは、1000万人スケールの都市では機能不全を起こすと危惧した。

そこで、丹下は、新しい構想都市の中心帯に3層から成る鎖状の交通系統を敷設した。上層が時速120kmで走れる高速道路、中層が時速80km、下層が時速60kmとし、歩行者も完全に分離した。

歩車分離・・・。

いま自動走行運転システムの開発競争が世界各所で行われているが、人も混在する街の中でそれを実現するのが最も難しいという。歩行者が車から分離されていれば、自動走行運転システムの開発に携わる人にとってこんなに楽なことはないという。

「東京計画1960」の街では、自動走行運転が、きっと実現しやすかったことだろう。丹下は、そこまで見据えていたのだろうか?

また当時、丹下は駐車場のスペース不足も指摘している。

いま一般に目につくようにもなってきたカーシェアや、その先にある自動運転タクシーといった新サービス形態も既に視野に入っていたのだろうか?

「東京計画1960」の街を上から眺めてみると、四角い形状をした3層の交通系統が鎖状に連なっているのが分かる。

丹下は「有機体は一番初め丸い形状の卵であるが、成長段階に入ると線的に伸びるものであり、最後まで円になることはない」と解いた。

これを都市軸と名付け、3層が重なる道路網を考案した訳だが、上層と下層の行き来をインターチェンジでつないだ。つまり交差点が生じないため、信号機は存在しない。

信号機の存在しない街・・・。

自動走行運転システムの開発に携わっている人達の間では「完全自動走行運転車だけが走り回る街では信号機が不要になるかもしれない」という。

車と車あるいは路面に設置されたセンサーなどとお互いに常にコミュニケーションし合い絶対に衝突を起こさない・・・というのがその理由だ。

1961年、世に公表された「東京計画1960」。

いま読み解こうとすればするほど、その深層に驚かされる。機会があれば是非「東京計画1960」をみていただきたい。古いものの中で新しい発見に出逢えるかも知れない。現在の最新シミュレーター技術で「東京計画1960」の全体像を復元した文献もある。

所変わって、アジアの金融都市 シンガポール。新たに埋立て拡張する土地には、地下を利用して縦に道路を重層化する構想があるともいう。さながら「シンガポール計画20xx」といったところだろうか。「東京計画1960」を参考にしたかどうかは分からないが、お国を挙げて一気に動く土地柄だけに、お目にかかれる日は近いかもしれない。

若月真(株式会社テクノアソシエーツ マネージャー)

このページの先頭へ